Sunday 15 May 2011

昔語り

自分の昔の文章を読んでみました。
ふっとしたきっかけで。

足りないものはあったかと思ってました。
足りてなかったと思いました。
それでもまぁ、その時にはそれがひとつの形だったと。

言葉にされなければ伝わらないのですから。
でも、言葉だけで伝えきれるモノでもなしと。

頭の廻りはあまり早くはありません。
実際のスピードとして。

自分の言葉も選ぶ傾向にあります。アレでもなく、コレでもなくと。
考えて始めてしまうとなかなか止まらずに空回り。

自分のでない言葉を使うのも手ですよね。
向きを決めるには向いています。詳細となると、それを同じように感じているかで差が出そうです。
名言。いろいろありますけどね。

誤解されないように避けることも多いのかもしれません。
そして停止。再開。

元から言葉数は少ないほうです。
だからと言って意思を持たないわけでも無し。とは思ってます。

一言に重みを置く傾向。というのは研修での結果のひとつ。
厳密には「傾聴傾向が高い」?です。
まずは、話を聴きます。聴いた上での発言なので、考えるクッションが入ってしまうようで。

昔から大きくかわって無さそうです。
そうそう変わるものでも無し。言われてみて思わず納得してしまったり。


言葉に力が宿る類の物語も良く読みます。言葉だけでなく音楽にも。
結構そういうのは好きですよ。
ここのタイトル、「いんふぃにてぃ・こんちぇると」
無限コンチェルトという本の原題からとっています。The infinity concerto.
そんな物語です。グレッグ・ベアですね。古典と曰くは2007年の人。

「一切は波である。すべてのものは揺れながら距離を横ぎる。」

その中の一節。詩と交響曲が力を持っています。

植物に音楽を聞かせてみたとかありましたよね。
話しかけてみたりとか、良く聞く話?

波長の合う合わないとか言ったりしますよね。
ココロに働きかける効果は大きいのかと思います。

だから、大切に。
大切にしすぎて言葉足らずになってしまうことも多かったりしますが。

大切にしすぎたので多少雑に扱ってみようかとな「乱文乱変換」

やはり昔に聞いた話
「文字だけで伝わることは全体の2割でしかない。」
身振り手振りでも結構な事が伝えられます。ある意味妥当な線かなと。

コトバでは2割しか伝わらない。
無言もひとつの伝え方ですが、ちょっと消極的かなと。

沢山の言葉なら伝えられるのかな?
漢字の使い方で感じも違う?

海外文学、邦訳されたものを結構読んでました。
最近はラノベとかの日本語としてかかれた物を良く読みます。

映画では滅多なことでは吹き替えを見たりしません。
なっちゃん好きでは無いですが、結構好きです。
本編でもそうですが、字幕でも吹きます。

それなので、よくずれていると言われます。
実際にずれているのかとは思います。

実は結構リアクション大きかったりして。

それはそれで私らしいのかなと。
まわりからの反応を見てそう思ってしまったりするのでありました。

No comments: